Bubbles 2
「それならすぐに、叶えてやれる。待ってろ」
麻生は言いながら、地下鉄の出口から小走りで地上に出た。
電話を切るとさらに歩調を早め、すぐに本格的に走り出した。
真夜中を過ぎても青山通りには途切れることなく車が流れている。この時刻ならば渋滞にはまることなくスムーズにここまで来れただろう。
だが、どうしてか、麻生は地下鉄の最終に飛び乗っていた。自分の足で、練のところへ向かいたかった。
その時の自分を振り返ってみても、なぜ突然、練のマンションへ行こうと思いついたのか、自分でもその理由が分からない。
いや、と麻生は笑った。
――理由なんて、一つだけだ。
とにかく会いたかったのだ、とても。
気付けば二週間近く、練に会っていない。
練の顔を見たい。あの柔らかい髪に触れたい。この胸に抱きしめたい。
そう思うといてもたってもいられなくなり、麻生は事務所を飛び出した。
年甲斐もなく、自分はこの恋に振り回されている。
この、どうしようもなく、絶望の恋に。
地下鉄に乗っている三十分足らずの間に、麻生は練を想った。
練は今、何をしているのだろう。
宵っ張りの練は起きているに違いない。が既に酩酊状態かもしれなかった。
それはそれで、都合がいい。
どんな顔をして会えばいいのか分からなかった。
単純に照れくさい。
会いたい一心で思いつきの行動を取ってしまった自分を持て余しつつ、麻生は地下鉄に揺られていた。
そして、麻生は地下鉄を降りてすぐ、練に電話をかけたのだ。
電話の向こうの練は、泣いていた。
人通りのない夜道を走りながら麻生は先程の電話の内容を反芻した。
何を思い、練は泣いていたのだろう。
何をそんなに不安がっている?
自分の問いに麻生は自嘲の笑みを漏らした。
きっと、何もかも、だ。
これからの自分の立場、自分達二人の未来。練が不安がる要素など分かりきっている。
練の泣き顔を初めて見た時から、長い月日が経った。
あの時、麻生は練の泣き顔を見るのが本当に嫌だった。
冷房の壊れた、暑く狭い、取調室で。
めそめそと泣き続ける練を見ているのが苦痛で仕方なかった。
男の泣き顔なんて見たくないだけだと思っていた。
だが真実は違っていた。
今ならば、本当の理由も分かる。
練は今、あの時のアパートとは比べるべくもない豪奢なマンションに住んでいる。
練を取り巻く環境は驚くほどに様変わりしてしまったが、練の本質的な部分は変わっていないのだと信じたい。
だが練の数々の所業を知る度に、麻生は途方に暮れる。
自分に練を救うことができるのだろうか。
いや、と自分の弱気な考えを改めた。
できるかできないかじゃない。救わなくていけないのだ。そうしなければ、自分も立ち居かなくなる。自分の犯した罪に、身動きがとれなくなる。
自分が過ちを犯したと認めるには信じがたい苦しみを伴ったが、見て見ぬ振りをしてのうのうと生きることはできなかった。
今の練を産み出したのは、自分だ。
この過ちは正さなければならない。どうしても。
練の言葉が脳裏に蘇った。
『お願い。ここからさらって。二人で、逃げよう』
おそらくそれが、練の本心。
そうしてやりたい気持ちがないわけではない。いっそ全て投げ出して、二人で逃げることだってできないわけじゃない。その方が、自分達二人にとっては幸せなのかもしれない。
だが、麻生はその道を選ぶことができない。
まだ、だめだ。
練が失ったものを全て取り戻してからでないと。
いつになるかなんて関係ない。
いつになったとしても、やり遂げねばならない。
『とりあえずは、今、あんたに、会いたい』
また頭に浮かんだ練の言葉に、硬くなっていた麻生の表情が緩んだ。
練はわかっているのだろうか。そう言ってもらえることが、麻生にとってどんなに嬉しいか。
練は、あの頃と変わらず泣き虫だ。
それだけは、この先もきっと変わらない。
練はまだ泣いているんだろうか。
泣きやむまで、今夜は抱きしめていようと麻生は決めた。
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思いつきで続きを書いてみました。練救済措置、もしくは小娘麻生は気持ち悪いね、という。
また思いつきで続くやも……。いや、ほんと何も考えてないんですが。
そういや改めて考えると、浅草から外苑前って銀座線一本で行けるんだなという話でした。
(20100512)