手の痺れを感じて目が覚めた。徹夜明けでそのまま仕事をし続けて夕方まで意識があったのは確かだが、その後の記憶がない。机に突っ伏したまま寝こけてしまったようだ。背中には薄手のタオルケットがかけられていた。きっと環だろう。起こしてくれりゃいいのに。
頭が乗っかっていた組んだ両腕の感覚はまだ戻らず、まるで人形の腕にでもすりかえられてしまったかのように動かない。しばらくじっとしているしかないな、と時計に目をやるとまだ日付も変わっていない中途半端な時間だった。
目覚めた原因はしびれて感覚のないこの腕と、そしてその腕を覆った湿ったシャツだ。目元もひんやりとしている。
疲れ目か…?ずっとディスプレイ見てるしな。目使いすぎだな。
そう思って両目を瞑った途端、まぶたの裏に男の顔が浮かんだ。
―ああ。
小さな吐息と共に名残の涙が一粒零れた。
夢を見ていた気がする。
何か、悲しい夢を。
夢の内容を思い出せないもどかしさと共に喉の渇きを覚えて席を立った。電灯が消されている廊下へ窓からうっすらと頼りない光が差し込んでいた。この時間にしては外がやけに明るい。
やっと感覚が戻ってきた腕を上げてブラインドを開けると真円の月がぽっかりと浮かんでいた。
―今日は七夕か。恋人たちは年に一度の逢瀬を楽しんでいるのだろうか。
俺たちは会おうと思えばいつでも会える。
誰かの意思で引き離されているわけじゃない。
なのに今頃天の川で出会っているだろう恋人たちが羨ましくなった。
龍に会いたい。
今から急げば今日中に浅草に着ける。
居たらでいい。
一目だけ見て、そんで帰ろう。
◆◆◆
仕事から戻ると電灯をつけていない事務所の中がほの明るく、扉の向かいにある窓に下ろしたブラインドの隙間からうっすらと光が漏れていた。そういえば、帰り道がとても明るかった。電気をつけずに窓に近づきブラインドを上げるとぽっかりと真ん丸な月が見えた。
―満月か。しかも今日は七夕だ。月が見える七夕ってのは珍しいんじゃないか?そもそも梅雨のこの時期に晴れていることは滅多にないだろう。
昔の知識を掘り起こそうとしても天文学的なことは何一つ思い出せなかったが、ただ一つ、確信をもてることがある。きっと、あいつはこういうイベント事を気にするんだろう。
電話でもしてみるか。
それとも、会いに行ってみるか。
そう思って再び出かけようと机の上に置いた事務所の鍵に手を伸ばしたところで、がちゃり、とドアが開く音がした。ドアを開けた人物に目をやり麻生は表情を緩めた。何となく、予想していたので驚きはなかった。
「どうした?」
「今日は、恋人同士が会う日だろ」
ゆっくりとこちらへ近づいてくる恋人の言葉にくすりと笑いが漏れた。
「おまえは本当にロマンチストだな」
電気をつけずとも月明かりのおかげで目の前までやってきた練の顔がよく見える。
「…泣いてたのか?」
「え?」
青白い月の光に照らされた練の頬にはうっすらと涙の筋が残っていた。その頬に手を伸ばし、その跡を優しく指でなぞる。
「たぶん、疲れ目だ」
くすぐったそうに目を細めた練はひんやりとした手で麻生の指を軽く握りしめた。
「そういうことにしといてやるよ」
「何だよそれ」
「たまには素直になってみろよ」
「俺はいつでも素直だよ」
そう唇を尖らせる練を胸に抱き寄せた。腕の中に感じる温もりに安堵する。練も同じように感じてくれたのだろうか、安心したようにため息をついた後、ぼそり、と腕の中で小さな声をもらした。
「夢を、見たんだ。悲しい夢を」
麻生の背中に両腕を回し額を肩に押し付けるようにして練はすがり付いてきた。
「そんで会いたくなった。…龍に会いたかったんだよ。どうしても」
率直な練の言葉に応えて、麻生も同じだけの力で抱きしめ返し素直に口にした。
「会いにきてくれて嬉しいよ。…今日は一緒に寝よう」
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ああ、尻切れトンボ。
カレンダー見て慌てて書いた。惑子の陰暦カレンダーによると、今日は望月です。
(20090707)